独り言

独り言を公開するとはこれいかに。

今まであまり人に話してこなかったことも匿名なら気にせず書けるような気がするので徒然と。以下自分紹介を含めた独り言なのでスルー必須。

愛知県名古屋市生まれ。幼稚園は行かず保育園へ通ってたけどこの時には豊橋市へお引越ししていたので一番幼い記憶は豊橋の時しかない。保育園では親と別れるのが嫌でよく泣いていた。姉が風邪で休むと自分も休んでお家で過ごしていた。今思えば引きこもりな性格はこの頃からあったのかも。

昔から緊張したり嫌なことがあるとおなかが痛くなって保育園ではよく漏らしてた。昔からストレスに弱かったんだね。どこへ行くにも親か姉がいないと外に出なくて友達もおらず自分とそれ以外の人たちの中で過ごしてた。

小学校へ入学するとそれなりに友達はできた。この頃に我が家にはワープロがあった。当時高価だったワープロを買ってきたのは父で「将来役に立つ」と言っていた。これが今後大きな影響を及ぼすことになる。ワープロではインクリボンで売った文字が印刷されるのに感動した。画面は2色だけのシンプルなものだったが簡単なゲームをありよく触って遊んでいた。

小学3年生の終わりに引っ越して三重県鈴鹿市へ。これが覚えている初めての引っ越しだったけど馴染みの街を去るより新しい土地にワクワクしていた。

小学4年生から鈴鹿で過ごす。この時が一番平和だったかもしれない。友達が出来るか不安だったけど転校生が珍しい学校だったのですぐにみんなが話しかけてくれてとりあえずは安心。友達と呼べる人もできて楽しく過ごしていた。相変わらず勉強は苦手だったけど自分が好きだった理科より苦手だと思っていた国語のほうがテストの点数が良かったのは不思議。

この時自宅にWindows95のノートパソコンがあった。主に父が仕事で使うようだったけどそれ以外の時にはゲームで遊ばせてもらった。カラフルな画面で表示されるゲームは面白く何時間も遊んでいた。ほどなくしてWindowsMEのデスクトップもやってきた。この頃にはダイヤルアップのインターネット接続も行っていてどんな情報でもあるインターネットにのめり込んだ。

ちょうど学校でも「情報」の時間ができパソコンに触ることがあったけど自宅にパソコンを持っている人がほとんどいない時代だったため授業はまずマウスのクリックから。とても退屈だった。それと同時に父の投資には大変感謝した。

ほどなくしてプリンターもやってきた。学校の授業で調べ物をする際にプリンターで印刷して持っていくと先生にびっくりされたのを覚えている。

パソコン教室へ通い始めたのもこの頃。最初は簡単なペイントの使い方から始まったがWebサイトの作り方やインターネットの仕組みなども教えてもらい非常に楽しかった。

中学校へ上がってもほとんど顔見知りばかりで安心。新しい友達もできて順調な学校生活。この時に同じクラスで好きな女の子が出来たけど相変わらず消極的で 引きこもりな性格だったのでクラスメイトとして話すことはあってもそれ以上のことはなかった。今の好みのタイプとは違うのでどこが好きだったのかよくわか らない。

中学校ではクラブ活動に必ず入らなければいけなかったのでパソコン部へ入部する。ほとんど遊んでばかりだったが先輩がWebサイトを運営してたり格闘ゲームのキャラクターを作ったりしていてとても尊敬していた。

クラブ活動ではたまにボランティアにも参加してイベントの受付をやったこともあった。特に興味はなかったけどいい経験だったと思う。

中学3年生の夏に名古屋へ戻る。中途半端な時期の転校だったけど転校先では場所柄人の入れ替わりが激しいらしく特に注目もされずに学校生活が始まった。クラブ活動が強制ではなかったので帰宅部に。まさに引きこもり。しかし何人か友達もできて何とか学校生活は遅れていた。

しかし勉強の進み具合が違いいきなり知らない範囲から始まったり以前はなかった水泳の授業が始まったりと環境の変化に追いつけず腹痛連発。学校も休みがちに。そしてついに学校でう○こして見つかりいじめられる。いじめと言ってもやっているのは数人だけで増えることはなかった。机や椅子に落書きされたりう○こと呼ばれることもあったが無視していたらいつの間にか治まっていた。加勢する人がおらず広まらなかったのが要因かな。良い人たちが多かったようだ。

そういえば初めてパソコン関係の検定を取ったのもこのくらいの時。アビバの子ども教室でパソコン検定やらなんやら取らせてもらった。あまり難しくないためすらすらと上位の検定を取得していき教室を離れるころには1級まで進んでいたのを覚えている。賞状は大切に保管してあるので探せばどこかにある。

そのころ学校は休みがちで勉強も追いつけずテストの点数は散々。そんな状態で進学できるところは少なく受験しても受かる気がしなかったので何とか推薦で行ける高校を探して面接を受けに行った。見事合格。

入学した高校は高校であって高校にあらず。専門学校の高等課程に入学した。私立で専門学校と高校もあるため通学は専門学校で一部に高校の通信制課程の授業を取り入れることにより「専門学校」と「高校」に同時に入学できるというところだった。そんな学校だからもちろん普通じゃない。歴史はあるけど分かりやすく言うと馬鹿ばかり。自分も例外ではない。

授業は常にうるさく近所から苦情が入るほど。学年が上がるたびに生徒数が減っていくところだった。不思議なことにこんな環境でも真面目な人はいるので友達が出来た。この時にできた友達は今でも連絡を取っていて良い付き合い方が出来ていると思う。

さて、授業内容は専門学校らしく非常に偏っていて情報系がメイン。パソコンの使い方や簿記を主としてあとは中学に毛が生えた程度。パソコンは好きだったのでうれしかった。タイピングの授業で入力速度が速く先生に目をつけられる。そのおかげでいろんな検定に挑戦させてもらい高いにも出させてもらった。私学の大会で簿記の団体入賞、情報処理の個人優勝したのはうれしかった。

進路を決定するとき、先生からは大学へ行くことを熱心に勧められた。今思えば先生の主張は正しかった。だけど当時の自分は「自分の勉強したいことをとことんやりたい」と言う思いで専門学校へ進学。履歴書を見ると専門学校卒業からの専門学校入学とよくわからない表記になった。

進学先では高校の友達も2人いた。しかし卒業までに自主退学。今ではどうなっているのかわからない。同じ学科のクラスメイト(?)は10人もいないほど小規模な学校だった。

専門学校(2回目)ではプログラミングを主に学ぶ。そしてMOS2007の資格も授業の時間に一人だけ別で勉強させてもらってWord,Excel,PowerPoint,Accessと順番に取得していきMicrosoft Office Specialist 2007 Masterの認定ももらえた。他には入学早々、前の専門学校の先生から教えてもらったITパスポートに合格。卒業間直に基本情報処理技術者試験に合格したが就活に間に合ってなかったので意味なし。

プログラミングはJavaを主としてVB.NETやC#も少し触った程度。新卒でプログラマーになれていたらこの時の勉強が実っていたが今となっては頭を使うと知恵熱が出る程度に退化している。

就活はちょうどテレビで就職氷河期到来と言われているタイミングであり求人倍率が1以下だった。いろんな説明会に行きエントリーシートや履歴書をもっていったりしたが最初の筆記試験や面接で落ちる。卒業の時には同じ学科で就職できたのは一人だけと言う始末。

専門学校時代に得たものでたった今役立っているものはバイクの免許くらいだろう。夏休みに普通自動二輪、春休みに大型二輪を取得しておいて良かった。

卒業後はアルバイトをして実家暮らし。初めは100円ショップでレジや品出しなど行っていたが常にお客様の目を気にしながら働くのは気が付かれてへとへとになっていた。働いている人たちは良かった。クレームの電話も申し訳なさそうに謝って返金、交換対応をすればほどんどの人は満足してくれた。たまにすごい剣幕で起こってきた人もいたが対面だと平謝りすれば解決、電話なら店長など責任者に変われば良かったので何とかなった。

店員を荷物持ちとして扱う人もいたけども他の仕事をしなくてよかったので逆に楽だったかも。だけど接客は向いていないと判断して2年で辞める。次の職を探すときに社員で探すかバイトで探すか迷ったが結局楽なバイトで応募。そして採用。

次のバイトは製造業務。重い荷物を持ったり汚れたりと大変な仕事だが接客よりははるかに楽なので続いている。長く続けるつもりだったので積極的にみんなに話しかけていき名前を憶えて輪を広げていった。相手の名前を憶えて呼びかけるようにすると空いても自分の名前を憶えてくれるようになって良い関係を始められることを覚えた。

初めはみんなからいろんなことを教わり少しずつ出来ることが増えていった。いろんな作業場所を転々として取りえずやり方は分かるようになった。今でもバイトがやる仕事は一通り出来るのはこの時の経験があるから。指導してくれた先輩方には感謝している。

そのうちバイトの後輩が出来るようになる。今度は自分が仕事を教える番になり責任感を感じる。出来ることが増えると心にも余裕ができ周りに気を配るようになる。先輩のバイトや社員さんは良い人たちばかりだったのでここなら就職してもいいかもと思えたが当時の社長がひどかったのでバイトで居続けることにした。

このバイトで運命の出会いがあった。自分に出来ることの無いと思っていた彼女が出来た。初めは「よく遊びについてきてくれる子がいる」としか思っていなかったが初めて二人っきりで遊びに行ったとき確信した。嬉しかった。いや、今も嬉しい。

その彼女とたくさん遊んでいろんな思い出を作った。そして彼女はバイト先に就職。新卒の強さを知っているので就職できて良かったと心から思っている。

実はこの時会社の体制が変わりつつあり自分も契約社員ではあるが就職することも考えた。だが相変わらず旧体制が残っていたので断った。

新体制になってから変わったことは最近のことも含めると「出勤日数の制限」「雇用保険の加入」が大きなところだろうか。雇用保険に加入するも健康保険・厚生年金に加入させないのはどうだろうか。出勤日数が大幅に減ったのも気になる。労働の比重を社員大目にするのかなと思いきやパートが増えたので真相は分からない。

そして現在。旧体制のトップはいなくなり少しずつではあるが労働環境は改善されている。今後どれだけの時間がかかるかは分からないが悪くないところだと思う。良いと言えないところが辛いが仕方ない。

以前から(契約)社員へのお誘いを断り続けていたため今では声を掛ける人もほとんどいない。ついでに知っている人も次々と辞めてしまい作業場所がみんなと少し離れた時期もあって名前と顔が一致しない人も多い。かつてアルバイトでは自分しかできない仕事があったが今では出来る人が増えて安心したがそれと同時に「自分がいる必要性」がなくなったと気づく。

自分にしかできない仕事をやりたい。自分を必要とされたいと思っていろんなことを覚えてきたが今や誰でも出来るようになってしまった。最近では人手の足りないところへ手助けしに行く位置にいるが毎日違うことをやっていると手順を一つ一つ思い出しながら作業をするので遅くなるしやり方が変わっていても普段やっている人たちしか知らないので分からず間違ったやり方をしてしまう。

結果としてミスが出て迷惑をかけてしまう。自分がいない方がスムーズに仕事が回っているんじゃないかと思うと余計に自分がいる必要を感じなくなってしまう。

バイト以外ではすでにボッチだ。みんなと交流を持とうと飲み会やバーベキューなど積極的に企画してみんなを誘っていた。場所を決めたり参加者と連絡を取ったりと大変だったがみんなが楽しそうにしてくれると嬉しかった。だけども「みんなと交流を持つため」の企画が「みんなから誘われなくなる」理由になってしまった。

もともと友達が少ないため1人でいろんなところに出かけたりしていた。実際に一人で自由気ままに動くのが好きだったがみんなでワイワイするのも好きなのだ。しかし一人旅行の話をみんなにしてさらに自分で企画する行動力がある人となると「誘ってもこない」と思われるらしい。

自分がいない飲み会や遊びの話を聞くととても悲しい。蚊帳の外。相手にされていない。一度「誘ってくれれば行ったのに」と言ったら「予定が埋まっていて誘ってもこないかと思った」と言われた。確かに次の休みに何をしたいかよく話している。だけどそれは何もやることがないからであって誘ってくれればよほど嫌じゃない限り応える自信はある。

だから人から遊びの誘いを受けるととても嬉しい。が、あまりない。自分の人間関係はそんなもんだったようだ。

さて話を戻すと自分がバイトでいる必要性。社員になる話は随分とタイミングを逃している。今更だけどね。

今年で25歳。子供からはおじさんと呼ばれてもおかしくない年齢だ。いつまでもフリーターでいるのは将来がなさすぎるだろう。現在のバイト先でも土下座すれば何とか契約社員として働かせてくれると思う。しかし「契約か~」と思っている自分がいる。選べる立場ではないというのに。

かといって今から正社員で入れるところと言えば会社紹介が明るすぎていかにもブラックと言う雰囲気を漂わせているところばかり。今まで楽して生きてきた分これから苦労していくと思う。どうせなら思いっきりブラックなところに入って人生どん底に落ちたほうが良い人生経験になるんじゃないかな。読み返したくないほど雑な文章だ。論文なんて書いたことない。専門学校しか卒業してない教養の無さが露呈してる。嫌になる。人生やり直しがきかないけど終わらせることならできる。でも自分にはその勇気もない。どうしようもないね。今まで直視したくなかった過去と現在。さて、ここからどう進むのか。自分でも正解が分からない。独り身だったら何も気にせず底なし沼に飛び込むんだけどね。

 

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